2年前の春、私に小さな家族が増えた。
彼女は身体はとても小さいけれど、顔がガッツ石松に似ていた。
生まれたての赤ちゃんの顔はガッツか鶴瓶かどっちかだというのをどこかで聞いたのを思い出してなるほどと感心した。
子ガッツは本当にガッツがあって乳もガツガツと飲み、それ以上にガツガツと泣いた。
あまりにもガツガツ泣かれたので私も負けじとガツガツ泣いた。
私は子ガッツが可愛いと思えなかった。
可愛くないというのはもちろん顔の話ではい。
私にとって彼女は得体の知れない宇宙人そのものだったので、可愛いと思う感情よりも怖いという感情が勝っていたのだ。
親戚や友人は皆揃いも揃って子ガッツのことを可愛いと言った。
そのたびに私は子ガッツを可愛いと思えない自分に自信をなくし、責めた。
子ガッツは少し大きくなっても相変わらずずっと泣いていた。
私もますます泣いた。
独身時代の友人たちは仕事をして遊びをして旅行に行ってデートをして皆忙しそうにしている。
子どもがいるママ友たちはオムツアートをしてディズニーに行って記念日を祝って皆忙しそうにしている。
私と子ガッツだけがずっと泣いていた。
この小さな、あまり片付いていない部屋の、ベッドの上で。
私は化粧をすることもなく、髪の毛もボサボサで、子ガッツを抱いたまま、ときには少し離れたところで毎日泣いていた。
子ガッツは寝ずに泣いたので私も寝ずに泣いた。
子ガッツが疎ましかった。
子ガッツなんかいなくなればいいのにという思いと、本当にいなくなったらどうしようという思いで、私の心はいつも混沌としていた。
哀しいニュースを見ては他人事と思えず自分を戒めた。
夫は妻が別人のように変わってしまったことに戸惑っていた。
そしてまた春がやって来た頃、子ガッツは赤ちゃんから子どもになった。
近所のおばちゃんに「しっかりした坊やだね」と言われる程の立派な女の子になった。
彼女は泣き、笑い、怒り、そしてまた笑った。
それにつられて私も笑い、怒り、また笑い、そしてもう泣かなかった。
そうしているうちにまた次の春が来て、これから暑い夏が来ようとしている。
彼女は早くも小麦色になった手足をぶんぶんと振って駆け回っている。
笑っている。
それを見て、
私もまた笑った。
待ち合わせの時間に笑顔がやって来なかったとしても、焦る必要はない。
彼は少し到着が遅れているだけだ。必ずあなたのもとへやってくる。
ツイッターもやってるよ。
この気持ちはなん〜だろ〜
この気持ちはなん〜だろ〜
— はなこ(ただの酔っぱらい) (@hanako55211) June 16, 2014