大好きな祖母が、他界した。
突然のことだった。
その連絡を父から受けたとき、とにかく信じられない気持ちで、頭は真っ白になって考えることを拒絶した。
事実を受け入れるよりも早く、涙がぼろぼろとこぼれおちた。
祖母はやさしくて、とても温かい人だった。
いつもにこにこしていた。
上品でお洒落で、かっこいい人だった。
編み物が好きで、洋服や小物をたくさん作っていた。
わたしが愛用している白いマフラーも、汚れがよく落ちる毛糸の食器洗いスポンジも、祖母が編んでプレゼントしてくれたものである。
祖母といると、わたしはいつもやさしい気持ちになれた。
それは彼女が、わたしにとってたった一人の、「自分の存在を無条件で受け入れてくれる人」だったからだ。
わたしは幼い頃から自分のことを肯定的に捉えるのが苦手で、常に他人の視線に怯えていたから、誰と一緒にいても心からリラックスすることができなかった。
けれども祖母の前では、わたしはいつも、「ただそこにいるだけで愛される存在」でいることができた。
彼女と一緒にいることでわたしは、自分がこの世に存在してもいいのだ、ということを強く感じることができたのだ。
人から嫌なことを言われてふくれていると、「いいの、いいのよ。」と言って優しく微笑みかけてくれた。
それは、「あなたはあなたのままでいい」というメッセージだった。
そしてそれは、わたしがいちばん欲しい言葉でもあった。
祖母はわたしの娘のことも惜しみなく愛してくれた。
たくさん遊んでもらったし、可愛い服もプレゼントしてくれたし、3人で川の字になって眠ることもあった。
わたしと娘がケンカをすると、祖母はやっぱり「いいの、いいのよ」と言って、笑ってあいだに入ってくれた。
葬儀のとき、わたしは心の中で何度も「ありがとう、さようなら」とお別れの言葉を言った。
けれどやっぱりそのどこかで、「うそだよね?」という気持ちを拭いきれなかった。
骨と灰だけになって小さな小さな壺の中に収まった祖母を見たときも、ついこの間まで元気にしゃべったり食べたり歩いたりしていた人が、なんでこうなってしまうのか、理解できずにただただ途方にくれた。
これから先、わたしの人生に何度夏が訪れようとも、わたしはもう、祖母の手に触れることはできないのだ。
一緒にテレビを見ることもなく、一緒に買い物をすることもなく、わたしと娘と祖母とで川の字になって眠ることも、もう、ないのだ。
祖母はいつも、わたしが会いに行った帰りには、「また来てね」と必ず言ったし、祖母がこちらに来たときは、「また来るからね」と必ず言って帰っていった。
生前最後に会った日も、祖母は確かに、「また来るからね」と言っていたのに。
祖母は、とても穏やかに、眠るように息を引き取ったそうだ。
きれいに化粧を施した顔は確かにとても穏やかで、「もしも」なんて言う余地もないほど静かだった。
わたしがそのことを受け入れるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
情けなく鼻水をたらしてぐじぐじと泣いたり、立ち直って笑ったり、またぐじぐじと泣いたり、何度もそれを繰り返していくのだろう。
だけどそんな風にして悩み苦しむとき、わたしの頭の中にはきっと、大好きな祖母の声が響くに違いない。
「いいの、いいのよ。」と言って、わたしを慰めてくれるに違いない。