これ読んだ。
共働き家庭の子どもは「かわいそう」ですか?(小川たまか) - 個人 - Yahoo!ニュース
「人の子育てを笑うな」
これはほんとその通りだと思う。
「子どもがかわいそう」とかいって人様の家庭に口出ししちゃう生類憐みの妖怪はゴリラ顔でスルーすればいいよ。
親と子どもの信頼関係や愛情の深さなんて、外からみた他人(たとえその人に子どもがいたとしても)に分かるわけないんだ。
そして「共働きが良いのか悪いのか」っていうことに関しては「自分が笑っていられる方を選べばそれでいいんじゃないの?」と思う。
以前、愛着障害について書かれた本を読んだことがあって、それによると0歳〜3歳くらいまでの間に子どもが親から引き離される(死別やその他の理由で長期間離れてしまう)ことは多大な精神ダメージになって大人になっても残るみたいなことが書いてあったけど、それでも私は娘を0歳11か月のときから保育園に預けて働いてる。
それは私が働かないと家計がきついっていう現実的な側面があってのことなんだけど、そうじゃなくても私はきっと働いてると思う。
それは私が今の仕事が好きで、それをすることで私が笑っていられるから。
私は「いい母親」になりたいなんて思わない。
「いつも笑ってる母親」になりたいんだ。
娘を見ていると、本当に親の心の動きに敏感だなあと思う。
こちらの元気がないと不安そうな顔になり、イライラしているときはダダっ子になる。
働かないで子どもとずっと一緒にいてなおかつずっと笑顔でいられればそれがベストなのかもしれないけど、私にはそれができる自信がない。
たとえ一緒にいられる時間が短くなっても、心からの笑顔で「愛してるよ」ってたくさん言えることが今の私にできる精いっぱいのことだと思うんだ。
それは他のことでも同じで、私は普段のご飯も手抜きばっかりでレトルトや惣菜を利用することもあるんだけどそれは多分いい母親ではないよね。
でも疲れてるときにやりたくないこと無理矢理やって殺伐とした雰囲気になるより、「お肉屋さんのコロッケ美味しいね♡」って言いながら子どもと笑顔でご飯を食べたいんだ。
「絶対◯◯しなくちゃいけない」なんていう義務感でしかめっ面するぐらいだったらそれはやらない方がいいのかもしれないと疑ってみる。
自分の気持ちを犠牲にして子どもに尽くすなんていう考えも私には合いそうにない。
もちろん子どもの健康を保つのは親の義務だから、それを守るための知識や努力は必要。
要は子どもの健康と笑顔が守られればそれでいいっていうのが最終的なところなんだけど、そのために親である私が笑顔でいられるかどうかっていうのはかなり重要なんじゃないかって思ってる。
だからなにかしらの選択をせまられたときは、「それをして自分が笑っていられるか」っていうのを重要な判断基準のひとつにしている。
「帰ったらとびきりの笑顔で娘を思いきり抱きしめよう」
そう考えながら今日も家路を急ぐ。
それが良いことか悪いことかなんて判断はできないけど、そうやって迎えに行くときの私はいつも、フライングで笑顔になってしまうんだ。
ツイッターもやってるよ。
毎日満員電車にぎゅーぎゅー潰されてるから3kgぐらいは痩せたかな?と思って体重計のったら1kg太ってた☆
— はなこ(ただの酔っぱらい) (@hanako55211) June 20, 2014