私は毎日、仕事が終わると保育園に娘を迎えに行き、それから家へと帰る。
わが家は私、夫、娘の3人家族だが、夫は仕事が忙しく深夜や朝方に帰ってくることが多いため、顔を合わせない日もある。
そんな生活は気楽だと思う反面、寂しいという気持ちもある。
疲れているとき、今日も明かりのついていない暗い部屋へ帰るのかと思うと、少しどんよりとした気持ちになり、帰り道から見える家々に灯ったオレンジ色の明かりを見ては、実家に暮らしていたときいつも「おかえり」と言って迎えてくれた母のことを思い出す。
私は母とあまり仲が良くなかった。
下に兄弟がいた私は、小さい頃から母に素直に甘えることができず、思春期になるとその反動で母に対してかなり反抗的な態度をとっていた。
大人になってからは大きな喧嘩などはなくなり、関係も少しずつ良くなっていったものの、母に対してどこかわだかまりがあったのも確かだ。
「母は下の兄弟ばかりを気にかけて、私のことなど全然考えてくれていない」
私はいつも心の何処かでそう思っていた。
しかし今考えてみると、全く別の考えが浮かんでくる。
母は私を身ごもったとき、バリバリのキャリアウーマンだった。
当然、私を産んでからも働き続けるという選択肢もあったはずだが、育児に専念するため、好きだった仕事をキッパリと辞めた。
母が専業主婦になったおかげで、私の帰る家にはいつも、オレンジ色の優しい明かりが灯っていた。
ドアをあけると台所から「おかえり」という声がして、「ただいま、晩ごはん何?」というやり取りをするのがお決まりだった。
当時はそのことに対して全く有り難みなど感じていなかった。
母親なんだから家にいつもいるのは当たり前だし、ごはんを毎日作るのだって当たり前、そう思っていたし、態度にも出ていたと思う。
しかし母はなんの文句も言わず(ときどき言ってたがw)、いつでも私たちを迎えてくれた。
ときどき、今日はミートソースのスパゲティがいいな~なんて思って家に帰ると、母がミートソースを作っていることがあったりして、「ちょうどそれが食べたいと思ってたんだよ!」と母に報告すると、「はなこの声が聞こえた気がしたのよ、テレパシーかしら?」などと言って嬉しそうにしていた。
そんなやり取りを思い出しては、「私は母にとても愛されていたのだな」と最近では強く感じるようになった。
今では私の娘が潤滑剤になり(母は孫を溺愛している)、私のひねくれた心が少し解消されたこともあって、母との関係はだいぶ良好になっている。(夫婦そろってしょっちゅう孫に会いに来るw)
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お母さん、私はあなたによく似た頑固で意地っ張りな女に育ちました。
そんな自分を嫌って、あなたのことを疎ましく思ったこともあります。
しかしあなたのいつでも正直な所や他人に優しくできる心も受け継ぐことができたのではないかと思っています。
今はもう、私の帰る家に明かりは灯っていないけれど、寂しがってばかりはいられません。
私には私の、とても大切な家族ができました。
今度は私が、あのオレンジの明かりのような暖かな心で、彼らをいつでも照らしてゆこうと思います。
ツイッターもやってるよ。
夫「パパとアンパンマンどっちが好き?」
娘「アンパンマン」
私「ママとアンパンマンどっちが好き?」
娘「アンパンマン」
どうしてもアンパンマンに勝てない父と母であった。
— はなこ(ただの酔っぱらい) (@hanako55211) May 20, 2014